ブログを書くのも久しぶりで、何から書けばよいか分からないくらい、激動の3ヶ月でした。
まず、3.11当日、私は東京で会議中でした。そこで地震が発生。
非常に長い地震で、ビルの内壁に亀裂が入り、これはやばい!と思い
会議メンバー全員で路上へ。
その後ワンセグでニュースを確認した社長から
「小野崎社長!震源仙台だぞ!」
その瞬間頭が真っ白になりました。
家族は?社員は?会社は?地域の皆さんは?
まさにこの順序で安否確認が始まります。
地震発生から5分後には先ほどの社長から営業車をお借りし
一路仙台へ。高速も通行止めなのは容易に予想がつき、新幹線も不通だろう。
一般道で震源地仙台まで行くしかない。
行動は早かったので、都内のコンビにもまだ日常と変わらない程度だったため
電池や食料を一気に買い込み、一路仙台へ。ところが・・・・
東京を抜け出すまでになんと6時間。こちらは下り車線なのでまだ動いたほうだが
のぼりは埼玉あたりからまったく動く気配なし。これは大変だと感じた。
仙台へは一睡もせず、30時間かかったが、なんとか家族と合流。
その間車内では、カーナビのテレビでニュース情報を拾い、スマートフォンに
インストール済みのSkypeで社員とメッセンジャーで安否確認が出来、同じく
家族ともメッセンジャーで無事を確認が出来た為、一安心だった。
その後は現地のみんなは停電や通信障害の為、ニュースが入りにくいようで
こちらが見ているニュースをリアルタイムに伝えて、津波に巻き込まれないよう
警告を出し続けた。
自宅で家族と合流するが、その間近所のコンビナートが漆黒の闇夜を真っ赤な火柱で
照らし続けつ一方、停電により一切明かりの無い夜空が仙台に戻り、無数の星が
輝いているという、なんともアンバランスな眺めであった。
当時、食料、飲料、ガソリン等が不足し、その確保の為知恵を絞り行動した結果
2日で家族の2週間分の安全を確保でき、時間と心の余裕が出来たので
次に社員の救済に動く。会社の車両を社員に貸し出し、社員のご家族分の食料を
確保し、全国のクライアントの皆さんから事務所に入りきらないくらいの支援物資を頂き
それを社員でわけ、これでなんとか会社も再度動き出すことが出来た。
あの当時は、日常に戻るまでどれくらいの日数がかかるのか?と不安のどん底にいたので
会社自体も潰れる覚悟もしなければと思っていた・・・
あれから3ヶ月強が過ぎ、今では既存のお取引際様から積極的な事業展開のお話が
出てきている為、震災前よりも私どもの業務量が増えている現状です。
現在総勢58名のスタッフで、志を1つにできたこの震災のおかげで
今、3月4月の空白を取り戻す勢いで業務を進めております。
サラリーマン時代も含め、10年近いお取引頂いておりますお取引先の皆様の95%以上が
お取引を再開頂き、さらに新規お取引先や追加お取引も頂き、心から感謝しております。
まさに全国に散らばる皆様の温かいご支援のおかげで会社が存続できていると実感できました。
今後も今まで以上に皆様に必要とされるパートナーでいられるよう精進してまいります。
最後にこの震災で犠牲になられた方々に哀悼の意をささげます。
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今回は、ある国道沿いの無名の焼肉屋さんからのご相談。
何年前だったかなぁ。もうかなりたつと思いますが、ソフトバンクの事業説明に、当時20代の私は無謀にソフトバンクグループ総帥である孫正義社長とご面談のお時間を頂き、名刺交換をさせて頂き、さらには自動車業界のネット融合を目指す事業を進めたい旨をお話しさせて頂き、大阪事業所の所長に引き継いでいただいた時の写真です。私にとってとても思い出深い写真です。この当時の孫社長は通信事業でNTTと戦う!と言ってる頃で、NTTからは見向きもされず